風呂キャンセル界隈も肯定の言葉『生きる言葉』俵万智

「稀代の歌人」という触れ込みに惹かれた。言葉を繰る人がどのように言葉について語るのか。筆者の周辺に巻き起こる暮らしや育児を通した、現代の言葉の観察日記、時事評論である。とはいえ「サラダ記念日」以外の作品や著作を知らず、読みながらプロフィールを知る。 序盤、息子さんの育児に関する部分では、途中何を読んでいるのか不思議な気分になった。息子さんへの惚気のような母の想いが溢れた文章に、読み始めた当初の目的を見失った。ただ通読して思うのは、サラダ記念日の「君」や息子さんなど、相手を思う気持ちの強さが著者の言葉を紡ぐエネルギー源なのだと感じた。相手を思うことは、相手を思う自分の心を掘ることであり、その結果としていくつかの言葉が生まれる。他者を表現する言葉のひとつとして秀逸だったのは「風呂キャンセル界隈」。俵万智は〇〇界隈という表現を、「一般的にはマイナス認定されていることを、現にあるものとして肯定する優しさが生んだ」と読む。ネットスラングもある種の包摂と捉えられるのだ。 読み進めていくうちに、言葉の使い方や叙述方法など少しテクニック的な知識を期待していた自分にも気付かされた(後半歌の詠み方で少しあった)。だがそれよりも、言葉に臨むときの姿勢というか、言葉それよりももっと手前にある日々の生活を慈しむ気持ちが肝要と知った。心が先に、言葉はその後だ。

2026年5月10日 · APE

『敵』吉田大八

一軒の日本家屋──そんな静かなショットから始まる。家主・渡辺儀助は、元大学教授の一人暮らし。朝起きて顔を洗い、身支度を整え、米を研ぎ、魚を焼き、ひとり黙々と食事を済ませる。食器を洗い、コーヒー豆を挽き、買い物へ。衣・食・住に至るまで、70歳を超えたとは思えない“キチンとした”暮らしぶりだ。几帳面なのか、丁寧なのか。その所作からは、かつてフランス文学を愛した教養人らしい清々しささえ漂う。淡々とした日常の奥には、不穏な気配が潜む。口座残高は減る一方で、「終わり」は確実に近づいているのだ。時折垣間見せる亡き妻への慕情には、しみじみとした哀愁がにじむ。 そんな折、儀助のMacに届く“迷惑メール”の中に、“敵”の存在がほの見え始める──。やがて、現実と虚構(あるいは夢)の区別が曖昧になり、亡き妻までが姿を現し、儀助と会話する始末。混濁した精神のまま、庭で原節子風の女性教え子に詰問されるシーンは圧巻。長塚京三の声でか細くも「申し訳ない」と呟かせる演出が、本作でもっとも心揺さぶられたハイライトだ。 後半から終盤にかけて、ついに“敵”が姿を現す。モノクロ映像から、色彩豊かな画面への転換、ロックオンショット、スローモーションによる銃撃描写──前半で効いていた抑制が一気に解き放たれる。老いという敵との闘いとも見えるが、一方で儀助の生活や葛藤は、この家屋が記憶する風景の再演であり、その霧のような中で繰り返される四季のループにも見えた。

2025年1月18日 · APE