<?xml version="1.0" encoding="utf-8" standalone="yes"?><rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"><channel><title>2010年代 on アアダコウダ</title><link>https://hugo.4dpkt.com/tags/2010%E5%B9%B4%E4%BB%A3/</link><description>Recent content in 2010年代 on アアダコウダ</description><generator>Hugo</generator><language>ja</language><lastBuildDate>Mon, 15 Sep 2025 04:53:35 +0000</lastBuildDate><atom:link href="https://hugo.4dpkt.com/tags/2010%E5%B9%B4%E4%BB%A3/feed.xml" rel="self" type="application/rss+xml"/><item><title>『BUTTER』柚木麻子</title><link>https://hugo.4dpkt.com/butter-yuzuki-asako-review/</link><pubDate>Mon, 15 Sep 2025 04:53:35 +0000</pubDate><guid isPermaLink="false">https://aada-kouda.com/?p=169</guid><description>&lt;p&gt;海外で翻訳版が評価され、改めて日本でも評判となった本作を電子書籍で読んだ。作者が着想を得たといわれる実際の事件「首都圏連続不審死事件」は2007〜2009年に起き、報道や裁判が世間を騒がせたのは2010年代前半頃。本小説の初版は2017年、翻訳版の出版は2024年であり、意外と時間が経っていたのだと読後に知った。また、元の事件について記憶があまりなかったため、どこまでが事実に基づいているのかはわからず、むしろ前提知識や先入観なしで読むことができた（と思う）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;週刊誌記者の町田里佳は、都内の連続不審死事件の容疑者として収監中の梶井真奈子から取材の了承を得る。事件の聴取には誰が相手でも応じなかった梶井だが、料理や美食の話題を切り口にすることで面会にこぎつけた。料理好きで里佳の親友でもある伶子の助言がきっかけだった。東京拘置所での面会を通じて、里佳は梶井に勧められた食材やレストランのメニューをひとつずつ味わっていく。梶井の食べてきたものを追体験しながら、事件に関与した彼女の思考を探ろうとするのだ。しかし、食欲に正直な梶井の姿勢は、女性の社会的な抑圧から解き放たれているようで、里佳は少しずつ彼女に惹かれはじめる。やがて食にとどまらず私生活まで翻弄され、伶子や関係者を巻き込みながら物語は展開していく。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;取材が進むにつれ、里佳・梶井・伶子の三人の生い立ちにも触れられ、それぞれが抱える事情から女性のさまざまな抑圧が浮かび上がる。事件における悪女像、食に起因する体型や料理などのケア、結婚や家族の在り方など多岐にわたる。そうしたフェミニズムの課題を具体例として提示しつつ、三人の間では惹かれあい、憎みあう感情が揺れ動く。その心の変化が静かにでも確実に、ふとした言葉やほんの小さな揺らぎとして描かれる点が印象的である。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;さらに、味だけでなく匂いや環境音など五感を駆使した臨場感ある食レポや調理描写は、読んでいるとお腹が減ってくる。実在の商品や食材、飲食店も登場するため、同じ料理を通じて小説を追体験できる楽しみもある。個人的にはまずエシレのバターしょうゆご飯を試してみたいと思った。梶井が勧める多くの料理にはたっぷりのバターが欠かせない。タイトルでもあるそのバターは、本来なら控えるべき存在であり、抑圧された女性の食欲＝欲望を象徴する。一方で、その抑圧をはねのけ、明日の活力となる凝縮された力の源でもある。&lt;/p&gt;
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&lt;p&gt;最初はタイトルの通り、迷宮を冒険するパーティが食うに困って魔物を料理して食べる物語。ドラクエのようなファンタジーの世界観で、戦士やエルフの魔法使い、ドワーフらのパーティが登場する。通常の飲食事情は現実と変わらないようだが、魔物を食べるというのは一種のゲテモノ食い的な設定らしい。迷宮の階層を深く進むごとに現れる様々な魔物を、いろいろな調理法でおいしく食していく。この魔物たちの生物学的な背景と、それゆえにどう調理すると美味しくなるかという設計が緻密で、架空の食材なのに説得力があり実に旨そうだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;また蘇生の魔法が存在するため、ときに死が軽く扱われる。この死の扱い方が「食は生の特権」というテーマとうまく絡んでいる。死んでも遺体が残っていれば蘇生できるが、何かに食べられてしまい誰かの栄養になってしまうと、もう蘇生はできない。物語は徐々に、悪食グルメリポート的な雰囲気から、食物連鎖や転生、さらには「食は生の根源的な欲求」というテーマへと昇華していく。シリアスな場面も出てくるが、各キャラクターの性格も含めどこか抜けた明るさがあり、ユーモアが絶えない。その雰囲気が物語に重さと軽さバランスを与えている。また、終盤に時折挟まれる見開きスケールの画は、まるで宗教画のような神々しさがあり、作者の画力や生物への興味・好奇心も感じられた。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;総じて、ファンタジーからグルメ蘊蓄、ギャグ、シリアス、人種間の諍い、欲望まで、食を中心に様々な要素が盛り込まれている。それはまるで、あらゆる味蕾を刺激するフルコース料理のようで、大変おいしゅうございました。&lt;/p&gt;
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&lt;p&gt;序盤の「認知革命」では、ホモ・サピエンスとその他の類人猿とを分ける大きな違いの一つとして「想像力」を挙げている。たとえば自動車メーカーのプジョーを例にとり、「法人」という想像上の概念を取り上げる。自動車そのもの、技術、社員、社屋のいずれも「プジョー」そのものではない。しかし、「プジョー」という語によって、人々は共通のイメージを思い浮かべることができる。このように、ホモ・サピエンスは共通の物語や想像を共有することで、他の動物では成し得ない規模での集団行動や意識の統一が可能となり、結果として繁栄した。こうした想像の産物には、神話、宗教、国家、貨幣、信用、家族、共同体など、現代社会の制度や価値観の基盤となるものが含まれる。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;一方で、想像力は人類に秩序と繁栄をもたらしただけでなく、人種や性別によるヒエラルキーといった差別や格差も生み出した。人類の想像力が常に善や真理に導くとは限らず、時にそれは偏見や抑圧の根源ともなりうる。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;続く「農業革命」では、集団行動が可能となったサピエンスが、移動を伴う狩猟採集生活から、定住を前提とした農耕生活へと移行していく過程が描かれる。安定した農耕は、より多くの人々を養うことを可能にしたが、ハラリはここに「穀類の罠」「贅沢な生活の罠」があったと指摘する。小麦などの穀物は、人類の農耕化によって爆発的に繁栄した。言い換えれば、人類は穀物に利用され、耕し、水を与え、繁殖させた。これはまるで映画『マトリックス』のように、人類が無意識のうちに支配されていたディストピア的な構図にも映る。結果として人口は増えたが、生活の質や幸福という観点では、狩猟採集時代よりも向上したとは一概には言えない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「人類の統一」の章では、貨幣の発明から市場経済の発展、帝国と植民地の拡大・統合、そして普遍宗教の登場によって、世界が統一されていく流れが描かれる。ここでは詳細を割愛するが、ハラリは宗教、貨幣、帝国といった「虚構」の共有が、地球規模の人類統合に果たした役割を論じている。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;最後に「科学革命」。これは、宗教的な全能感から脱し、「我々にはまだ知らないことがある」という認識と、それを観察と実験によって解明しようとする姿勢がもたらした革命である。この科学的思考は、帝国主義や資本主義と結びついて、現代の世界秩序の礎となっていく。個人の欲望や強欲が、市場経済の中で利己的であると同時に、結果的に利他的にも働くことがある。市場が発展し、たとえばミシシッピ・バブルを契機にフランス王政が破綻、フランス革命へと至った。政治的自由と平等が獲得される一方で、イギリスでは産業革命による技術革新が進行し、現代社会の基盤が築かれていく。だがその反面、産業革命は家族や地域コミュニティの崩壊といった負の側面ももたらした。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;また、科学の進展は、遺伝子操作による生命の改変や、機械による身体機能の強化といった「バイオニック生命体」の可能性にも言及している。これは本書の中心テーマからは少し離れるが、Appleのスティーブ・ジョブズが語ったように、人は自転車のような道具を使うことで、効率を飛躍的に高められる。コンピューターやスマートフォンといった「知的な自転車」によって、人類の認知能力はすでに拡張されており、我々はすでに「半ばバイオニックな存在」と言えるかもしれない。スマートフォンがウェアラブル化し、さらに脳と直結するような技術が発達すれば、『攻殻機動隊』のような世界も現実味を帯びてくるだろう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;人類の歴史を俯瞰的に捉えるこの知的冒険は、そのスケールの大きさゆえに、読者を圧倒する。しかし、各章の論理的な展開を丁寧に追っていくことで、人類の全体像を一望したかのような錯覚すら覚える。それほどまでに本書は魅力的であると同時に、ある種の恐ろしさもはらんでいる。&lt;/p&gt;</description></item></channel></rss>